■ 与謝野蕪村との関係から、音楽の歌詞について触れたが、その辺りの話はちょっと横に置いておこう。
■ 荒木一郎の、・・・
そらに ほしが あるように
はまべに すなが あるように
ボクの こころに たった ひとつの
ちいさな ゆめが ありました
■ こんな歌詞を読むと、「生意気だ」、という姿を思い浮かべるよりも、・・・
■ 何か、優しさのようなものを感じる。
■ 当時の社会は、それが分からず、表面的なもので評価されたのかもしれない。
■ しかし、まあ、そんなことを今更言ってもしょうがない。
■ ・・・
■ ところで、・・・
■ 千葉県の内房の姉崎という所に、「別荘下」というバスの停留所があった。
■ 今もあるかどうかは、インターネットで調べたらすぐ分かるだろう。
■ この停留所ができた当時、おそらく、そのすぐ近くに渚があり、裸足で駆けてゆくこともあったろう。
■ そして、「上」の別荘のテラスからの風景は、例えば、夕日の沈む頃など、心静かになれるものだったと考えられる。
■ このバス停の名は、特に考えて付けられたものではないにしても、・・・
■ 当時の状況が、「別荘下」という言葉の中に残っている。
■ 言葉は単なる記号でないことがこのことからも分かる。
■ 人が意識して思いを込めた言葉でなかったかもしれない。
■ しかし、「ことば」とはそういうものなのだ。
■ ・・・
■ 荒木一郎の歌詞をとりあげた。
そらに ほしが あるように
はまべに すなが あるように
■ 彼は、この歌詞の中に、つまり、「ことば」に、「こころ」を込めた。
■ ところが、図らずも、彼は、その当時の(自然)環境をも、「ことば」の中に込めたのだ。
■ 単に歌詞だけをとりあげれば、つまらん、といえば、つまらん歌詞だけど、・・・
■ ひところ流行った「反戦」とか、今直面している自然環境破壊問題を叫ぶようなものでない。
■ 詩としては月並みで陳腐なものだ。
■ それだけに、かえって、自然に、言葉の中に残されたということだろう。
■ 彼がこの歌詞を作ったことで記録された。
■ 平成19年(西暦2007年)の今、こうした歌詞の歌は作られないだろう。
■ 日本人の1/3は都市で生活しているそうな。
■ そうした環境の中で生活しているとき、人々の心の中には、満天の星空など存在しない。
ほしの ひかりが すてきな よぞらの シャンデリアさ
■ ・・・、何、それって何、といったものだろう。
■ 今、都会の空に星もなれけば、浜辺もない。
そらに ほしが あるように
はまべに すなが あるように
■ こうした歌ができるはずもない。
■ つまり、こうした、「こころ」、がなくなってしまったのだ。
ボクの こころに たった ひとつの
ちいさな ゆめが ありました
■ こんなアホくさいこと、作り事の世界の、台詞であっても言えない。
■ そんな、夢のない世になったということか。