野鳥と俳句

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野辺の花

 

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■ 2011-01-15

■ 昭和天皇だったか、・・・

雑草という草はない。

どんな草にも名がある。

■ こんな言葉をどこかで読んだことがある。

■ 野の草は刈られても踏みつけられても、次の年には芽を出し花を付ける。

■ あれ、こんな所に、と小さな発見があると、嬉しくなる。

■ 生きる力を感じる。

■ 植物は、一度根を下ろすと、自分では移動できない。

■ そこで自分で生きてゆくしかない。

■ だから、人に踏まれるような場所に、人の手で植えられた花は可哀そうだ。

■ 逆に、そんな場所に植えるのは、植物に対する思いやりが感じられない。

・・・

■ 植え直してやりたい気もするときもあるけれど、・・・

■ そんな風に思っても、他人のしたこと、どうしようもない。

■ 花を植えようというとするひとの気持はわかるが、・・・

■ 花壇とか、柵とか、囲いとか、そんなものが必要なんだろうか。

■ たとえ美しい花が咲いたとしても、・・・

■ それは花が美しいのであって、・・・

■ いかにも、私が植えました、「美しい」ことをしています、という意識が、何か見え透いては、感じが悪い。

■ ただ、花を植えたから美しい町になるかどうか、・・・

■ 植えるなら、草木がひとりで育ち、ひとりで花を咲かせられるように植えてやる方がいいと思う。

■ そんな人の心が感じられる町は、花壇がなくても美しい。

■ 人がわざわざ花を植えなくても、野辺の花が見られるような感じがいい。

■ 小さな、小さな、花を見つけてふと立ち止まるそんな散策があればいいなと思う。

■ 「木漏れ日」を「コボレビ」などとするのは、どこかおかしい。

恥ずかしい看板

■ 無理が通れば道理がひっこむ、的だ。

 

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