■ 2011-03-21
■ 一枚の古い絵ハガキがある。
■ 中尊寺・金色堂だ。
■ 昭和5、6年に修理された。その時の写真のようだ。
■ インターネットで検索すると金ぴかの写真がでてくるだろうけれど、・・・
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■ 修学旅行で見た金色堂は、松尾芭蕉が奥の細道に書いたようなひどいありさまで、金箔などどこにあるのかといった感じだった。
七宝散りうせて玉の扉風に破れ
金の柱霜雪に朽ちて
既頽廃空虚の草村となるべきを
四面新たに囲みて甍を覆いて風雨を凌
暫時千歳の記念とはなれり
五月雨や年年降て五百たひ
■ 芭蕉は素龍に奥の細道の清書と添削を依頼した。
■ 五月雨の降りのこしてや光堂、という句に改作したのは素龍だとされている。
■ それに異論はない。
■ 光堂という言葉から想像した句となっている。
■ 現物を見れば、どうしてもその印象が記憶に残り、なかなかこうした明るいすっきりした句姿にはなりにくい。
■ 綺麗過ぎる。人生臭さがない。
■ 奥の細道は五年後に書いたわけだから、もし、芭蕉の作だとすれば、「五百たび」の句でなく、
■ 現在知られている「降りのこしてや光堂」の句になっていたはずだ。
■ 五年間「五百たび」であったものが急に全く新しい発想の句になりえたとは考えにくい。
■ しかし、金箔を貼るなど改修された現状からは、芭蕉の見た金色堂のさまが分からないかもしれない。
■ むしろ、・・・
五月雨の降りのこしてや光堂
■ この句の通りだなと感じるかもしれない。
■ まあ、そういうものだ。
■ 素龍の改作だとしても、素龍が芭蕉の作として清書し、芭蕉もそれを受け入れた。
■ そして、奥の細道という芭蕉の作品の中の句であることには違いない。
■ 奥の細道に配することにより、この先ずっと光り輝くということだろう。