野鳥と俳句

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ひと月の生活

 

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■ 2011-03-06

■ 芭蕉と曾良は、芭蕉が家を処分した一月後に旅立った。

■ その間、旅の準備をしていたということになる。

■ それを、必ずしも芭蕉自身がしたわけではなく、・・・

■ 同行が決まった曾良が、例えば、道順の下調べなど計画を立て、・・・

■ 杉風が、金や、道中の立ち寄り先への連絡や天気その他の問い合わせなどをして、・・・

■ 芭蕉は、師匠然としていたのではないか。

■ 2011-03-08

■ 元々、路通と行くつもりだったとき、芭蕉は乞食になってでも、ということだった。

■ ほとんど具体的な計画などなかったと思われる。

■ 商いを生業とする杉風からみれば、そんな師匠のやり方が危うく、心配だったと考えられる。

■ 長い旅の道中で、体調を崩すことだってあろうし、行く先々何があるか分からない。

■ しっかりした計画と、同行者が望ましい。

■ 芭蕉にしてみれば、何度も旅の経験はあるし、何をいうかということだったかもしれない。

■ 当時の金融事情がどうだったかしらないが、・・・

■ 例えば、今、バス代を万札では払えない。

■ 小銭でなければならない。

■ それは昔も同じだろう。

■ 草鞋銭にしても、昼飯代にしても、小銭は必要になる。

■ 長旅で硬貨ばかりを持ち歩くけにも行かない。重過ぎる。

■ どこかで両替とか、あるいは手形を使用するとか、

■ その辺は問題ない時代だったのか。

■ あらかじめ送金しておくとか、何らかの手配が必要だったのか。

■ そのうちちょっと調べてみよう。

■ ひと月の生活にしても、寝る場所や飯の心配もすることなく、人に頼りきっていたということだろう。

■ 曾良にもいろいろ準備があったのだから、・・・

■ 杉風の使用人が食事の用意をしたのだろう。

■ その辺のところは分からないが、相当世話になっているはずだ。

■ 何を食べたかなどどうでもいいが、野菜や魚など自分で買いに行き自分で調理したとは思えない。

■ 仮に物売りが来たとしても、その代金を自分で支払ったとも思えない。

■ 旅が終わって、芭蕉がなすべきことのひとつは世話になった杉風への挨拶と報告でなければならない。

■ それは、師匠であるために、そして、その後も世話になるには欠かすことができないものだ。

■ 無視されたのでは誰も世話をしようという気はなくなる。

■ 感謝の気持ちをどう表すか、師匠としての立場もあるし、そのへんのところが難しいといえば難しい。

■ 何年かの時間は経ったが、芭蕉はそれを奥の細道の中で表現した。

■ しかし、芭蕉が江戸に戻ったのは二年半後で、奥の細道に文章化されたのは、それよりまだ先のことだ。

 

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