■ 2011-03-06
■ 旅立ちの前夜、杉風は芭蕉の親しい人たちを招き、別れの連句会をした。
■ 芭蕉、素堂、安適、濁子、杉風、この顔ぶれだった。
■ 発句は当然、その家の主人であり、会主催者である杉風が、送別の挨拶として詠んだ。
■ それにつづき八句まで詠まれた。
■ このときの連句会は最後まですることが目的ではなく、別れの気持を表すことが目的だったから、
■ ふたまわりほどしたキリのよいところで、明日は早いからと、お終いにしたと考えられる。
■ その記録は現存しないようだ。
■ それは、旅立ちに際し、柱から外して、芭蕉に手渡したからだと考えられる。
■ ところが、そのうちの発句はあらかじめ用意した句だったから、彬風が書いたものの中に残っている。
花の陰我草の戸や旅はじめ 杉風
■ この句は、芭蕉が家を処分したときの句をふまえたものだった。
草の戸も住替る代ぞ雛の家 芭蕉
■ ひと月ほど前、家を処分したとき、譲り受けた家族には女の子がいて、・・・
■ ちょうど雛まつりの前のことだった。
■ そのときの句だ。
■ この「草の戸」を杉風は自分のうちの「草の戸」に置き換えた。
■ 平凡ながら、芭蕉のこころに残る句だった。
■ そして、芭蕉は、あの時はそうして見送ってくれたんだったね、という意味を込めて、・・・
■ 長旅の報告である奥の細道の最初の句として記述した。
■ こうした意味合いは、旅立ち前夜に集まった人にはすぐ分かったことだろう。
■ そして、そうした芭蕉の気遣いを誰よりも喜んだのは杉風であったと思われる。
■ その後の援助を惜しむはずはない。
■ そう考えた芭蕉がいるということになる。
■ 「あざとい」という表現をみたとき、なるほどと思った。