■ 2011-03-08
■ 今まで、多くの人が杉風の句に気付かず、また、無視し、誤解してきた。
■ 芭蕉の「草の戸」の句を奥の細道の旅立ちの前夜になされた連句の発句と捉えてしまったからだ。
■ 旅立ったのは旧暦の三月二十七日で雛まつりは三月三日。
■ 「雛」の句を作ったのは雛まつりの前だった。
■ 雛まつりをしている様を詠んだわけではない。頭に思い描いたのだ。
■ 芭蕉ほどの人が、一月も前の句をそのまま流用するとは思えない。
■ その時の発句であろうはずはない。
■ たとえ、芭蕉が発句を詠んだとしても、新たに作ったに違いない。
■ しかし、それはなく、当然ながら、見送る側の人が作ったと考えられる。
■ 芭蕉はひと月の間、杉風の別宅に住み、そこで送別会も行われ、・・・
■ その参加者に声をかけ招いたのも杉風だから、発句は杉風が詠んだと考えるのが自然だ。
■ 奥の細道を最初に清書したのは、素龍だったが、その時は、句の後の文は、・・・
面八句を柱に懸をき
■ ・・・、と書かれていた。これが、その後、「懸をき」でなく「懸置」と書かれたため、これを「かけおく」とを読んでしまったのだ。
■ 当時は「懸置」と書いて、「かけおき」と読むことに、なんら問題はなかったのだろう。
■ しかし、時を経て、おそらく、名の知られた学者が、「かけおく」と読んで「。」まで付けたため、
■ 掛け置いたのは、この分の前にある、「草の戸」の句だ、と早合点し、誤解したのだ。
■ 注意して読まなかったということだう。
■ よく考えもしなかったということだろう。
■ 学者だから、人のこころがよく分かるということではない。
■ 「送り仮名」など余計なことをしたものだ。
■ いらぬ、句読点を施して、学者はそれで仕事をしたと思っている。
■ 人はいったんなされると、校訂、注釈がなされたモノを読んでしまう。
■ 誰も芭蕉の書いた原文まで遡って読もうとはしない。
■ だから、この誤解はずっと続くだろう。
■ 従って、訳のわからん解釈になって、「面八句」は実際には作られなかった、などということを言い出すしまつだ。
■ それで、辻褄を合わせようとするのが主流となった。
■ 別に学者の説がどうであろうと構わない。
■ その仕事の評価は歴史が証明する。
■ 自分にとって意味があるのは、自分が読みとることだ。
■ 読んでつまらなければ再読しないだけだ。
■ とにかく、ひとの意見にまどわされることなく、自分で読んでみよう。