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なによりの土産

 

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■ 2011-03-18

■ 「草の戸」の句は杉風に対する感謝の気持をこめて、その位置に配したが、・・・

■ 見送ったのは四人、杉風だけではない。

■ 従って、他の人に対する言葉もあっておかしくはない。

■ むしろ、芭蕉のことだから、他の人に対しても気を使ったのではないか、と考えた方が現実的だろう。

■ 四人のうち二人は友だち、二人は弟子だ。

■ 杉風は弟子。もう一人の弟子は濁子だ。

■ 先年、芭蕉の手紙が発見されたそうな。

■ もともと、奥の細道の旅に芭蕉を誘ったのは路通で、その頃、芭蕉は乞食になってでもゆくつもりだった。

■ ところが、実際に同行したのは曾良だった。

■ いつの間にか、乞食の路通がいなくなって、芭蕉はべそをかいている。

■ その愚痴をこぼした手紙だ。

■ 宛名は鳥金右衛門だそうな。

■ 愚痴をこぼしたのだから、気安く心を許せる相手で、しかも、杉風でも曾良でもないとしたら、弟子の濁子だろう。

■ 濁子は絵を描く鳥を描くのもうまかったかもしれない。

■ おそらくそうだろう。

■ また、おそらく、路通に引導を渡したのは師匠の芭蕉のことを心配する杉風だったろう。

■ あんたと行くなら金は出せません、と。

■ そこで路通は引き下がった。

■ 他に、この事を知っていたのは、一緒に行ってくれと杉風に頼まれた曾良だった。

■ それを後で知った芭蕉が泣きつく相手は江戸に住んでいた濁子以外はない。

■ 濁子も資金的な援助をしていたのだろう。

■ 杉風が師匠のことを思ってしたことだとはいえ何らかのしこりは残ったろう。

■ それは杉風ばかりでなく、お門違いかもしれないが曾良に対してもあったかもしれない。

■ さて、芭蕉と曾良は、・・・

行く春や鳥啼き魚の目は泪

これを矢立ての初として行道猶すすまず・・・

■ と旅立った。

■ 「矢立ての初として」とあるが、この句を思いついたので奥の細道を書き始めたのではないか、と思われるほどうまい句だ。

■ 涙を流しての別れだった。

■ 「鳥啼き」という部分は特に、まあ、そんなものかと最初思った。春だから鳥も鳴くだろう。

■ 「魚の目は泪」、これは普通には思いつかない。

■ しかし、杉風の本業が魚屋で、通称、鯉屋市兵衛ということなので、泪を流したのは杉風になる。

■ そして、「鳥啼き」の鳥は手紙を出した相手の「鳥金右衛門」、即ち濁子ということになる。

■ 弟子二人の名前を巧みに読み込んで、しかも、他の人には、言われなければ、それと分からないような句だ。

■ これには感心した。

■ もちろん、二人はこれを読んで再び感涙にむせんだことであろう。

■ 芭蕉を後援しない筈はないし、芭蕉はこれをここに配することにより感謝の気持ちを表し、なによりの土産としたのだった。

■ 「矢立ての初として」とわざわざ書いたところが、何かその時に作った句でなく、後からできた句のように思われる。

■ 奥の細道自体が五年後に書かれたものなのだから、そのような工夫があったとしても驚きはしない。

■ ただ、うまいなと思う。

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