■ 2011-03-21
■ 奥の細道以外に芭蕉が書いた文章も残っている。
多病と疲れて。高田といふ処にいたる。・・・
■ 医者に看てもらい、その医者と連句もしている。
■ 色々出来事はあったようだ。
■ それらの「事」の真実がどうであれかまわない。
■ 問題は、奥の細道という作品にどう活かせるかだ。
■ そして、「事をしるさず」と書くことに意味があるのか。
■ 書かなくてもよかったと思う。不用だ。
■ それは、「文月や」の句についても言える。
■ ただ、七月七日は七夕で、芭蕉は七夕について色々と思いめぐらしていたことだろう。
■ ここでひとつ、七夕の名句を作りたい、そうした意識は人一倍であったと思う。
■ 残念ながら雨。体調不良の天候不順ということだ。
■ 不甲斐なく気落ちもしただろう。
■ そんなことも含めて「事をしるさず」だったとも考えられる。
■ しかし、あの時もっと状況がよかったらと五年も後で思ってみたところでしょうがない。
■ むしろ、「荒海や」の句のあとに「文月や」の句を配し、一文を添えるべきだった。
■ そして、「遊女」の句に橋渡しをしてもよかったのではないか。
■ たとえば、・・・
酒田の余波日を重て
北陸道の雲に望遥遥のおもひ胸をいたましめて
加賀の符まて百三十里と聞
鼠の関こゆれは越後の地に歩行を改め
荒海や佐渡によこたふ天河
越中の国一ふりの関に至る此間九日
署湿の労に神をなやまし病をこる
文月や六日も常の夜には似す
■ このように文章を並べ替えるだけでもよかった。
■ ということだろうけれど、それは、普通の日でなく元旦に富士の山頂から朝日を見たいなどというのと同じで、・・・
■ 芭蕉は七夕の夜に天の川を見たかったのだろう。
■ それが詩情というもので、思い出すと色々あった。
■ 曾良は曾良で下調べした計画通りの道順を行くというし、俺は先ずは七夕だった。
■ と、互いに勝手をしたわけだけれど、思い起こしても、なかなか、旅での現実と、奥の細道という創作との間で文章がまとまらない。
■ つまらんことを書いてもしょうがないか、と、結局、執筆当時の気持を書いてしまったということではないか。
■ もっと長い「銀河の序」と題した俳文もある。
■ だから、旅にあって、事をしるさなかったのではなく、あとでそう思ったのだろう。