野鳥と俳句

  野鳥とホームページ

遊水

千里緑地2、道

 

戻る | ホーム | 上へ


■ 千里南公園内の道の横の、ベンチに腰を下ろし、ぼけっとしていると、多くの人が前を通り過ぎる。

■ ただ、道路として利用している人の方が多いかもしれない。

■ 目の前の金木犀を楽しんでいるのだが、ひっきりなしに通る。

■ 公園内の道を、近道だから、生活道路として使用する。

■ ここ一週間ほど、何日か、「千里緑地」、でノゴマを撮った。

■ 池の横の柵の下から、道路側に出てくる。

■ カメラマンは道の反対側に立っている。

■ 道を隔てて、カメラマンと小鳥という形だ。

■ 小鳥が出てきた。

■ 写真を撮ろうとすると、人が通る。

■ 歩いて通る。

■ 自転車で通る。

■ 犬を連れて通る。

■ 何を撮っているのかと、立ち止まり、訊ねる人もいる。

■ その度毎に小鳥は逃げて隠れてしまう。

■ しばらく人通りが途絶えると出てくる。

■ 撮ろうとすると、人が通る。

■ この繰り返しだ。

■ ある程度撮ったあとは、そんな状況を見ていた。

■ ここは、一応、公園だ。

■ 道を通る多くの人は、公園であろうが何であろうが、近いから利用するだけだ。

■ 道というものは、本来そうしたもので、自然の中にも獣道はできる。

■ ところが、公園という観点から見ると、・・・

■ カメラマンの方が、公園を公園として、純粋に楽しみ利用している。

■ 聞くと遠くから来ている人もいる。

■ 近くの人は、何でこんなところまでくるのか、と怒る。

■ 自分で探せばいいじゃない、と怒る。

■ しかし、小鳥を発見できるような環境が少ないのも事実だ。

■ とにかく、小鳥を楽しんでいるのに、・・・

■ 人が生活道路として通る。

■ こうした通行人は、人の楽しみの妨害者であることは間違いない。

■ 無意識の「悪」だ。

■ 問題が表面化するかどうかは別にして、・・・

■ いわば、こうした、利用面での対立構造ができる。

■ それが起こらないように、道は作られるべきだろう。

■ 公園内の道は、近道であってはならない。

■ 公園が主体であって、道が主であってはならない。

■ 一般道が不便だから、公園内の道を利用するということだ。

■ 道路のありかた。公園のあり方を考えさせられる。

inserted by FC2 system