■ 千里南公園内の道の横の、ベンチに腰を下ろし、ぼけっとしていると、多くの人が前を通り過ぎる。
■ ただ、道路として利用している人の方が多いかもしれない。
■ 目の前の金木犀を楽しんでいるのだが、ひっきりなしに通る。
■ 公園内の道を、近道だから、生活道路として使用する。
:
■ ここ一週間ほど、何日か、「千里緑地」、でノゴマを撮った。
■ 池の横の柵の下から、道路側に出てくる。
■ カメラマンは道の反対側に立っている。
■ 道を隔てて、カメラマンと小鳥という形だ。
■ 小鳥が出てきた。
■ 写真を撮ろうとすると、人が通る。
■ 歩いて通る。
■ 自転車で通る。
■ 犬を連れて通る。
■ 何を撮っているのかと、立ち止まり、訊ねる人もいる。
■ その度毎に小鳥は逃げて隠れてしまう。
■ しばらく人通りが途絶えると出てくる。
■ 撮ろうとすると、人が通る。
■ この繰り返しだ。
:
■ ある程度撮ったあとは、そんな状況を見ていた。
■ ここは、一応、公園だ。
■ 道を通る多くの人は、公園であろうが何であろうが、近いから利用するだけだ。
■ 道というものは、本来そうしたもので、自然の中にも獣道はできる。
■ ところが、公園という観点から見ると、・・・
■ カメラマンの方が、公園を公園として、純粋に楽しみ利用している。
■ 聞くと遠くから来ている人もいる。
■ 近くの人は、何でこんなところまでくるのか、と怒る。
■ 自分で探せばいいじゃない、と怒る。
■ しかし、小鳥を発見できるような環境が少ないのも事実だ。
■ とにかく、小鳥を楽しんでいるのに、・・・
■ 人が生活道路として通る。
■ こうした通行人は、人の楽しみの妨害者であることは間違いない。
■ 無意識の「悪」だ。
■ 問題が表面化するかどうかは別にして、・・・
■ いわば、こうした、利用面での対立構造ができる。
■ それが起こらないように、道は作られるべきだろう。
■ 公園内の道は、近道であってはならない。
■ 公園が主体であって、道が主であってはならない。
:
■ 一般道が不便だから、公園内の道を利用するということだ。
■ 道路のありかた。公園のあり方を考えさせられる。