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言語にとって美とはなにか

 

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■ 2011-07-28、-30

■ 「言語にとって美とはなにか」、これは魅力的な題だったけれど、あまりおもしろくなかった。

■ 彼の著作等、本棚の一角を占めてはいるが、彼から何を得たのか、・・・

■ 例えば、・・・

吉本隆明著、歳時記、堀辰雄の項で、・・・

「堀の文学を健康な、憧憬を蔵した永遠のアドレッセンスの文学にしてしまった唯一の動因は<病気>だった。しかも肺結核だった。

■ このような文章を書くが、ここで、なぜ「アドレッセンス」という言葉を使う必要があるのかと、まず思う。

■ 青春という言葉で言い尽されないにしても、青春でも問題はないはずだ。

■ 堀辰雄が、健康な永遠の青春の憧憬的文学作品を書けたのは、彼が肺結核だったからだ。

■ 例えば、こんな文章でもいいかもしれない。

■ 自分が書くとしたらもっと別の表現をするだう。

■ 「言語にとって美とはなにか」というわりには、美しくない文章を書く。

■ 文筆家?にとって、その思想の表現が文章にあるならば、文章が思想であるから、・・・

■ 意味的に核心的なことをいっていたとしても、その思想の根底に、人を見下したようなものが見える。

■ 有難がることはない。

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