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■ 2011-08-11

風土 - Wikipedia

地理学 - Wikipedia

■ 2011-08-02

■ 和辻哲郎著、「風土」について書く前に、ちょっと書いておこう。


■ 高層ビルの高速エレベーターに乗ると、耳がキーンとなって嫌だ。

■ 飛行機はもっとひどい。乗りたくない、と言う。

■ 耳が痛いって言ってるのに、長崎のときだって、誰も助けてくれないじゃない。嫌だ、行きたくない。

■ 飛行機に乗るなら、一人で行ったら、と言う。

■ そう言われて、一人で行く気にはなれない。

■ まあ、そんなことはどうでもいいのだが、・・・

■ 例えば、飛行機を利用する場合としない場合では、距離感はかなり違う。

■ 距離感だけではない。

■ 例えば、東京湾を船で横断するのと、電車で行くのとでは気分的に感覚的に全然違う。

■ 大坂から徳島や淡路島にフェリーで渡るときと、今治まで船で行くときでは、船だから同じかというとそうではない。

■ 今治に船で行くときは、石鎚山が眼前に迫りくる。

■ また、瀬戸内海では海の向こうに島が見える。

■ 現在、これらの船便があるかどうか知らない。

■ 橋上を列車で渡ると、カーブしてない場所では橋も部分しか分からない。

■ 電車がトンネル内を走るときと同様だ。

■ 日本海の秋田のように砂浜が続く海岸では海の向こうに何もない。

■ だだ、鳥海山や、男鹿半島が見えるとほっとする感じがある。

■ こうした感覚は色々ある。

■ 大坂の地下鉄にのり地下街をうろつくような日常から、淀川の河川敷を歩くときとでは気分が違う。

■ 車でも、バスの場合は少し上から見下ろしているが、乗用車の場合だと視界が効きにくい。

■ 自分は徒歩か公共交通機関で移動するので、乗り継ぎも多いが、それは普通だ。

■ 場合により、そのときそのときで、便利なものを利用する。

■ 乗用車に乗りつけている人は、まず、バスなどは利用せず、・・・

■ 電車で行けば楽にみえるばあいでも、目的地まで車まで行こうとするようだ。

■ バスの利用の場合、近くに行くときは、・・・

■ 玄関を出てから5分のしない距離のところに停留所があり、10分間隔で運行されているのだから、・・・

■ 時刻も何も考えずにうちを出る。

■ 何の不便もない。

■ 定期券を忘れないようにしさえばいい。

■ 移動すると、環境により、その場の違いに気付き、しかも移動手段によっても見方や行動様式がかなり異なる。

■ その人が日常的に住む環境が、その人の見方に作用している。

■ 一戸建ての家に住む場合と、集合住宅の上層界に住む場合では「雨」にしても違う。

■ エレベーターから降りて、ありゃ、雨だったか、ということにもなる。

■ 自然ばかりでなく、大家族と一人っ子では全然違うだろう。

■ まわりの大人たちに芸術家が多くいる場合と、学者ばかりの場合ではやはり違うだろうし、・・・

■ 都会と村では祭りだって違う。

■ 環境といっても色々ある。

■ 雪国で毎朝雪掻きをする感覚は雪国に住んだことのない人には分かりにくいかもしれない。

■ しかし、まあ、国内の場合は違いといっても、大差ない、といえばないかもしれない。

■ ところが世界意的にみるとかなり違い、感覚もかなり差があると考えられる。

■ さて、こんなことを書いてみようかなと思ったのは、・・・

■ 「風土」の、第三章、モンスーン的風土の特殊形態、一 シナ

■ このあたりをぱらぱらとめくってみたからだ。

■ 例えば、いつから、黄河という名なのだろう。

■ 淀川にしてもきれいな澄んだ川ではないが、大雨のとき以外は泥水ということでもないだろう。

■ 日本の川の場合はきれいな済んだイメージはおそらく日本人として共有できるだろうが、・・・

■ 「黄河」は、その名のとおり泥水だということだろう。

■ 揚子江の方が濁りは少ないのかもしれない。

■ 濁りだけでない。

■ 川は広い平野部を流れ、見渡す限り、地平線や水平線しか見えないところに住む人々と、・・・

■ 遠く、近くに山々が見えるところに住む人々では思想が違っても不思議はない。

■ その違いを感覚的に捉えられないだけだ。

■ 意識するしないにかかわらず、そんなものだということだ。

■ 長い歴史のなかで、「そんなものだ」ということがごく自然になっていると思われる。


■ 「風土」に次のような記述がある。

シナ人が無感動的であるということは、シナ人が感情生活を持たないということではない。

シナ人の感情生活の様式が無感動的であるということである。

空漠たる単調さににおいておのれおのれを見いだしている人間は、変化を求めて感じ、動くことを必要としない。

この点においては、

極めて変化に富む質的多様性においておのれを見いだしている日本人とは、シナ人の相反の極にあるといってよい。

■ 「風土」は繰り返し読んでみるといいかもしれない。

■ 初版は昭和10年だから、現在からみれば内容的に色々問題点を見いだすかもしれないが、・・・

■ 要するに、自分が思っている自分、あたりまえのこととして行動している自分を基準にして捉えると、間違うかもしれないということだ。

■ 世界的にみて、相手がどんな基準で行動しているのか問題になることが多い。

■ 欧米人は、いわば、戦う相手を研究するが、・・・

■ 日本人は、「こちらが思いやれば、理解してもらえる」的な考え方をする場合が少なくない。

■ 通用するはずがない。

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