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100年という時間

 

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■ 2011-11-15

■ 100年という時間

■ 日々の記録は、いわば、歴史だ。

■ 日々、野鳥撮影の記録をして、振り返ってみると、世界がある。

■ 野鳥の世界であるし、私の世界でもある。

■ 誰でも、三年も続けていれば、何らかの形になってくる。

■ 五年、十年と継続すれば、それが歴史というものだ。

■ 即ち、日々が歴史なのだ。

■ 五年や十年では短いというかもしれない。

■ まあ、そうだろう。短い。

■ 100年であれば、短くはないという感じかもしれない。

■ 100年というと、どれほどの時間なのか。

■ 江戸300年の歴史という。

■ 徳川は15代であった。

■ 人生50年などと言うのは昔の話だが、平均的に一人では、100年にはならない。

■ ところが、・・・

■ 例えば、父は明治45年の生まれだった。

■ それから今まで、100年は、既に、過ぎたのだ。

■ これが三代続けばどうだろう。

■ 立派に歴史と言えるだろう。

■ チャイナーは辛亥革命から100年だという。

■ そんなもんから比べれば、個人の歴史というものも確固たるものなのだ。

■ ただ、一般には、そういう意識はほとんどないだろう。

■ 「歴史」という言葉の認識として、自分とは無関係に感じていいる人もいるかもしれない。

■ まあ、そういうことだろう。

■ 100年といえば、時間的には、歴史だと捉えてもいい長い時間だけれど、・・・

■ 代々受け継がれてゆく、有形無形の、いわば、財産がなければ、ただ時が過ぎたというにすぎない。

■ 普通には、人間は、一人ではたかが知れている。

■ 知識、経験、技能、思想など、あるいは、お金や固定資産など、それが蓄積されると大きな力になる。

■ 良い意味でも、悪い意味でもそうだ。

■ 昔は、家族を大切にした。

■ 一族、一党、伝統を重んじた。

■ それは、経験として、歴史の意味を知っていたからだろう。

■ 個人の限界を知っていたからだろう。

■ まあ、そういうことだ。

■ また、・・・

■ 時間という尺度でなく、量という尺度をもって測ることも、ある意味では、できるだろう。

■ 量が変われば質も変わる。

■ また、時間と量をあわせて考えることもできる。

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