この歌の、この村里とはどこであったのかと思うのである。
「世界史地図」を見ると、ある時期、千島列島、樺太南部、地洋千半島、台湾、南方諸島などが日本と同じ色に塗られている。政治的に日本の領土であった地域である。これらの地で生まれ育った人々がいる。そんな日本人の一人に父がいた。
丸き陽の 地靄に入れば 大陸に 少年なりし 頃の思ほす
どうしても自分で選択できないものは幾つかある。例えば、時代とか、故郷もそのひとつである。
彼の精神の奥底には、日本の伝統や文化あるいは精神風土が根付いてない土地を生まれ故郷とした、拠り所のない者のもつある種の孤独感がある。・・・
晩年、地図をひとつひとつ塗りつぶしてゆくようによく散歩したのも、移り住んだ土地を自分の心や体に馴染ませるためだったかもしれない。そんなことを思いながら、何度となく、「たんころりんの歌」や「生雲集」を読み返した。
ひとつひとつの歌はそれを作った人のものであるが、まとめて全体的に見ると、歌は時代の記録だと改めて思うのである。