■ 「遊水・野鳥の世界」、に幾つか追加し、去年の頁を少し整理した。
■ 秋の渡りは、そろそろだ。
■ コンピュータに飽きると、読書だが、・・・
■ 暑いので、読書も進まず、すぐ昼寝になってしまう。
■ それに、あれこれ読んでいては、どれも終わらないので、・・・
■ すっきりせず、よけい暑い。
渡部昇一著、「日本語のこころ」、講談社現代新書
■ これは、一応、読み上げた。
■ この本に、幕末の蓮月尼は、蕪村の俳句を「卑怯な料理のような句だ」、と。
■ 幸田露伴は、「蕪村は相撲で言えば手取りの句ばかりつくっていたのでは、巧みすなわち巧みであっても大力ではない」、などと評しているようだが、・・・
■ まあまあ、そこまで言わなくてもいいじゃないか、たかが俳句で、と思う。
■ たかが、なんていうのがけしからんということだろう。
■ 蕪村の句に、いいのは沢山ある。
■ それに、「北寿老仙をいたむ」、とか、「春風馬堤曲」なんか、いい。
■ 「蕪村俳句集」、をぱらぱらめくってみると、ちょこちょこ、色や印をつけている。
■ 何度か読んだようだ。
■ 芭蕉と比較してみようかなと思ったが、まとまったものが手元にない。
■ 芭蕉の句は800程度はあるだろう。
■ そのうちに、ということか。
■ 話は変わるが、・・・
「小学校という公教育の場から和歌はほとんど追放されているのである。和歌どころか俳句までもない」
■ こんなことも、この本に書かれていた。
■ 子供はいないので、現状はよく知らない。
■ もう、この年になったら、人のことなど、どうでもいい。
■ 国の将来を憂う立場でもない。
■ ただ、百人一首、くらいは小学生の頃に丸暗記するのがいいと思う。
■ 全て、ひらがなで、5・7・5・7・7に分かち書きしたものがいいだろう。
■ 百首ぐらい、たちまち暗記してしまうだろう。
■ 人は長い長い年月の間に言葉に心を込めた。
■ そのこころは言葉の中に宿っている。
■ 和歌は、その心を込めた言葉の代表的なものだ。
■ 和歌を読めば、長い長い時間の中で培われた、こころが自然に身に付くだろう。
■ 自らも、歌を詠むようになれば、更に、望ましい。
■ 親は分からなくても、今更しょうがないけど、・・・
■ 子供が、知る機会を与えられないのは困ったものだ。
■ 学校教育がどうこう言うまえに、それくらいはやったらいいのだ。
■ 解説書もいくらでもある。
■ それに、自分があれこれ教えなくても、三十一文字のことばが、自然に教えてくれるのだ。
■ ことばとは本来そうしたものなのだ。